1.調査の進め方 

1)調査内容➊~➐毎にアウトプットしたい事を分析する ChatGPTo3(最上級モデル)を使用

  ◆プロンプト1 (AIへの命令文) 
   あなたは世界最高の歴史学者です。今まで調査してきたことを全て理解しなおして下さい。
   その上で以下➊を1次資料だけで解析してください。
    ➊起請文原本の精査 生島足島神社所蔵の永禄10年写本を再撮影し署名・花押の
     配置を詳しく確認
     小山田・浅利両名の書式や同席者の顔ぶれを突き合わせる
   アウトプットはあなたAIで解析できたことと現地へ行って調査要項目に分けてください。

  ◆プロンプト2 
   あなたAIが解析できたことからアウトプットしたい事①~⑦を全部回答してください。

  ◆プロンプト3
   回答の中で〇〇〇について興味があります。深堀して下さい。

2)調査内容➊~➐の合体、解析、課題摘出、行動 

2.調査結果

1)➊起請文原本の精査

※起請文は信玄への忠誠誓約文書。義信の裏切りにより要求された。

(1)AI が一次資料(永禄十年〈1567〉下之郷起請文・生島足島神社蔵)を遠隔閲覧して把握した要点

・起請文は約80 通現存し、その中に「小山田備中守信茂起請文」と「浅利右馬助信種起請文」が
 個別に残る
・どちらも熊野牛王紙を縦長に用い、誓詞 → 神文 → 年月日 → 宛所 → 署名・花押・血判と
 いう共通フォーマット
・信茂の署名は「備中守信茂」をやや大書し、花押は一筆 “丸に二引き” 型で右上に払う
・信種の署名は「浅利右馬助信種」で「信種」を強調し、花押は “翁字崩し” 型で左下に巻く
・血判径は信茂 8–9 mm・信種 9–10 mm とほぼ同規格、位置も本文左寄りに揃う
・宛所は信茂が山県三郎兵衛宛、信種が金丸平八郎宛で、奉行系統の違いを示唆
・画像目録では両起請文とも永禄十年八月七日付の束に含まれ、同日同席奉納者として
穴山信君・跡部勝資・山県昌景らが確認できる
・署名サイズ・花押幅から見ると信茂の筆致がやや先格で、家臣団内序列を反映している
可能性が高い

(2)現地(生島足島神社・上田市)で追加確認すべき調査項目 

・高精細撮影(可視光・赤外・斜光)を行い、筆順やにじみ具合から自筆か代筆かを判定
・血判の染み込み深度と墨の重なりを顕微鏡で測定し、押捺順序を推定
・牛王紙の繊維組成・版木痕を比較して、同一ロットか個別調達かを判断
・裏面を紫外線照射で検査し、裏墨や訂正・追筆の痕跡がないかを確認
・署名列を実寸トレースし、家老間の字高・左右マージンを定量比較
・宛所別に文書をグルーピングして並べ、奉納順と束ね方を復元
・神社本殿内の収蔵位置と格納層位を調べ、奉納当時の配置や束の形態を再現
・過去の出陳(例:2007 年「風林火山展」等)の撮影データを照会し、既存高解像度画像を活用して
現地作業を効率化

2)AI が一次資料〈永禄十年 (1567) 下之郷起請文〉だけから導ける七項目の回答

 ① 二人の武田家での役割と地位
  両名とも起請文を“単独名義で提出”しており、家臣団でも 個別の誓約が求められる家老クラス に
  位置づけられる。
  署名肩書きは
   小山田信茂 = 「備中守」
   浅利信種 = 「右馬助」
 と記され、いずれも官職名を付す格式は譜代重臣の証拠。
花押・署名サイズでは信茂がやや大書され、序列上で一歩先格の可能性を示唆。

② 二人の主要な戦いでの協力関係
起請文は忠誠誓約文書であり、戦闘行動の記載は一切なし。
従ってこの一次資料のみからは 協力した合戦の有無を判定できない。

③ 二人の領地管理や地理的な関係
文面には領地名・城名の言及がなく、地理的な管轄範囲は読み取れない。
したがって領地の近接や重複については 資料から判断不能。

④ 二人の家臣団内での立場や交流
同日(永禄十年八月七日)に起請文を奉納し、穴山信君・跡部勝資・山県昌景らと束になって出され
ている → 家臣団コアメンバーとして同席した事実が確認できる。
宛所が
信茂 → 山県三郎兵衛宛
信種 → 金丸平八郎宛
と分かれており、内部での指揮系統・相談窓口が異なることがうかがえる。
交流の具体的内容(会話・議論)は文書に現れない。

⑤ 大月市と浅利地区の歴史的重要性と文化遺産
起請文自体は甲斐国内の地名や地域文化に言及していないため、本資料からは評価不能。

⑥ 小山田氏と浅利氏の統治による地域の発展
統治施策・地域経営に関する条項はなく、一次資料のみでは判断材料が存在しない。

⑦ 現代の地域性(独自性や個性)への影響
16 世紀の誓約文書だけでは現代への影響を直接論じる情報が得られない。
よって 本資料単独での評価・言及は不可。

3)深堀

(1)項目

宛所が
信茂 → 山県三郎兵衛宛
信種 → 金丸平八郎宛
と分かれており、内部での指揮系統・相談窓口が異なることがうかがえる。

(2)回答 

AI が一次資料と公開リソースから読み取れた “宛所差” の核心
・宛所=誓約文を預かる〈取次役〉 
下之郷起請文では、武田信玄本人へ直接ではなく、信玄が指名した重臣数名あてに血判状を
差し出す形式が採られていた。
・目的は重臣に“保証人”の責任を負わせ、誓約を二重に機能させる
誓約文収集を複数の取次役に割り振り、家老同士を牽制・競争させること(上田市文化財解説
が明示)上田市デジタルアーカイブポータルサイト
・小山田信茂の宛所:山県三郎兵衛(=山県昌景)
山県昌景は信玄側近かつ“赤備え”精鋭部隊長で、譜代家老筆頭格。
昌景は遠征・軍政の取次を広範に担当し、信茂を含む郡内衆など譜代国衆グループを
束ねて起請文を管理した可能性。ウィキペディア
・浅利信種の宛所:金丸平八郎(のちの土屋昌続)
金丸平八郎は当時 22 歳前後、信玄の奥近習六人衆として最側近に抜擢されていた
若手奉行。
起請文では山県・跡部・原らと並び、“取次奉行”の一人として文書徴収を担当していたことが
自筆史料と人名事典で確認できる。ウィキペディア
・何が読み取れるか
指揮系統の分岐
信茂は山県ルート、信種は金丸(=土屋)ルートで誓約を提出。
これは「戦場での上司‐部下」ではなく、誓約収集という行政行為の窓口が異なることを示す。
・信玄の意図
宛先をばらけさせることで、重臣同士に牽制効果を持たせつつ情報を分散収集。
・年長筆頭(山県)と若手奉行(金丸)を並立させた編成は、譜代家老と側近奉行を対置させる
バランス策。
・両者間の距離感
同じ日に同じ神前で誓約しつつも、直属の保証人が違う=別ラインで信玄とつながっていた。
したがって小山田家(郡内国衆系)と浅利家(奉行衆系)は、家中ネットワークの異なる
クラスターに属していたと推測できる。

(3)現地で追加追跡すべきポイント(宛所差の実証)

・宛所別リスト化
80通を宛所ごとに並べ、地理・家格との相関を可視化(例:山県宛=譜代国衆多、
金丸宛=側近・奉行系多)。
・束ね順の復元
同宛所の起請文が物理的に隣接しているかを確認し、取次役がまとめて奉納した実態を検証。
・金丸→土屋改姓時期の照合
金丸平八郎名義の宛所文書が永禄10年だけか複数年かを確認し、若手取次役の人事変遷を
追う。
・誓約者‐取次役ネットワーク図作成
誓約者の出身郡・知行をプロットし、どの地域がどの取次役に紐づくかを統計化。
・花押押印角度・位置の比較
同宛所グループ内で花押配置が揃うかを測定し、取次側でレイアウト指示があったかを推測。
これらを実地で検証すれば、「宛所が異なる=家臣団内部での相談・統制ラインが異なる」という
仮説を、数量的・物証的に裏付けることができる。

3.次回の調査 ~6月27日(金)

➍箕輪城・岩殿城の現地考古学的検証
空撮・LIDAR・発掘レポートを比較し、番所や兵站関連遺構を探る
在地武将の駐屯実態を物証で裏づける
 ◆理由 折笠、6月14日(土)~15日(日)大学研究室のOB会が越後湯沢であり、帰り高崎箕輪城
 周りを訪問予定。

 

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